「らしさ」と「余計な一言」

最近、面白い人と出会う機会がめっきり減ったなぁと、あくまで個人的な印象。
平均点というか圧倒的特徴というか強烈な「その人らしさ」を感じる事が少なくなったとも言い換えられます。
その「らしさ」の演出には見た目も大きく関わっている事は確かで、最近髭を生やした男性や、個性的なファッションに身を包む女性が増えたとも感じるが、どこか共通している場合も多く「らしさ」は感じられない。しいて言えば「っぽい」程度だろうか。
では一番「らしさ」を感じる処は何処か?
個人的には話し方、その中でも「余計な一言」の中に一番感じていると思うのです。
失敗を恐れ、何らかの標準・常識の範囲内にいればリスクから逃れられる って事だろうか、自分の意見、主張であっても極めて厚いオブラートに包み、マイルドに話す方が圧倒的に多いと感じるんです。
圧倒的「らしさ」は時に摩擦さえ生み出す事も確か。ですが、自分の人生を平均的に普通に過ごしたくないのであれば、この「余計な一言」をマナーの範囲内で積極的に発すれば良いと思うのです。
きっと嫌う人も出てくるだろう!しかし遍く好かれるなんて不可能なんだよね。
あとは「らしさ」が上を向くか、下を向くか? 覚悟とセンスかな。
深く好意的になってくれる方は、この「らしさ」に惹かれるのだから。
「らしさ」の負の側面である捨てる覚悟が有るか?が問われ、人生にも商売にも通じると個人的には思うのです。

ただし、お勤めされて出世を狙う方は要注意だね。