最近ドラマの影響で企業の最終局面での銀行の在り方が話題になっているが、その遥か手前のステージで、時にはその最終局面で関係する専門家として感じる事を残しておきたい。
まず専門家という立場だが、通常依頼元から「この企業の○○について改善のお手伝いをして欲しい」という要望と共に決算書等が送られてくる。大概は傷んだ状況で、借入に相当依存、過度な返済負担を負った状況で、我々は数字の並びから自分なりの仮説(窮境原因と復活へのストーリー)を立てて臨む事になります。その際の依頼書には金融・支援機関の「見立て」が記され、その見立てとバランスを調整しながら初見面談時のストーリーを考えていく流れになる。
仮説検証を行いながら面談は進み、時には「こりゃダメだ」と思う事も多いのは事実。
しかし、我々ワンポイントリリーフとして呼ばれた専門家が「これでは債権放棄や大胆なリスケ、事業売却を盛り込んだ抜本的再生計画が必要ですよ‼」なんて言えないし、言ったら言ったで「そこまでの話は依頼していない!」と機関・企業から反発を喰らうだろう。
最近の金融機関からの支援では「当面の資金手当ては済んだので、この当面の期間の間に最も深刻なポイントを具体的に、数字に反映させられるよう改善のお手伝いをして欲しい」と要望され赴いている。その際、何人もの専門家が接触し不幸にも相性レベルで、時には提案内容レベルで玉砕され、その企業(更にはその機関)からは二度と呼ばれる事が無くなるとの話を聞く。その提案が実に的を得ていても である。
そう、まるで条件付きのお見合い、採点競技ではないだろうか?
所詮我々専門家はITなり承継・業界等の専門的見識を持つ一時のワンポイントリリーフ。
企業が選択出来る複数の選択肢の提示は行うが、金融商品や金融支援(時にDESや放棄、第二会社方式までも)を操るリリーフではないのが普通。
理想として、要請の前裁きで、それらを含んだ改善計画は金融機関側と企業の間で合意を得ておく必要があるとも思う。「で、ここを診てくれ!」という感じだろうか?
そもそも地元で長い年月、担当者まで付けてお付合いしながら決算書も受領し、数字に現れない点も含め、厳格な審査の上で融資し、回収の見込みをつけていたのではないのだろうか? 例えるなら掛かり付け医でもある。そこがセカンドオピニオンを推奨するばかりか、見立てを丸投げされ、手術方法までも丸投げされているのは負担が大き過ぎるのではないだうろうか?もし提示して、金融機関側が「あっそうか‼」なんて事があるのだろうか?
経営改善計画の策定要請ならばあり得るとは思いますが…あくまで専門家として
今、ステージ4で後は頼む なのか? 今、S4で、ここまでは当方でやる覚悟がある。そこで頼む なのか?
少なくとも金融・当該企業へのプロの目利きを通した結果としての依頼と受け止めている。
そもそもステージ4まで放置したの事を誰も指摘出来ない仕組み・事情なんだろうか?
専門家を見下す方もいますが、そこまで自信があるのなら再生局面以前に登場されるのがベストと考えます。
何の、誰の目的の為に招聘されたのか疑問に思う事も専門家として感覚を持つことは実際にはあります。
減点主義… 減点は採点競技の中でも楽な部類に入ります。
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