大人の事情 若者の抵抗

ご存知の通り緊急事態宣言が延長されました。
期間の設定には色々諸説挙げられていますが、「なにがなんでも五輪開催」を念頭に議論され、決定した事は皆さん薄々感じているでしょう
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上でしか声を上げられない現実は、欧米人の意思をデモ行進也行動で示す姿と大きく違って見えます。(まぁ、この災は人が集まる事さえ高いリスクなので流石の欧米人も大人しいのですが…)
不遇の時代に青春を過ごす若者らにとって受容するしかない恐怖はウィルスに対してだけだろうか?いや、この国ならではの国制・行政のシステムの中で生き続ける事に対しての絶望感に近い恐怖と怒りを覚えるだろうと思うのです。
それら感情をどう吐き出せばいいのか?選挙(投票)で示せばいい?高齢化した人口構成上の無力感も彼らは理解していると思うが、高齢者も自己中だらけとは限らないし、中高年の意識も合わされると高齢者ボリュームを凌駕する事は明白であり、是非その民意をぶつけて欲しいと思う。が、ひっ迫する今現在なのです。
圧力を掛けられる行動制限に対して今、彼らが就職活動への心配をせず、国家にマークされる事無く出来る事は「制限破り」によって自ら感染者となり、政府の望む数値・思惑が外れる事を仕掛ける。すなわち一種のデモ行進の様に映るのです。
当然最悪の仮説であり、家族や仲間を巻き込むリスクを冒すとは思えないが…

このコロナ禍は、隠れていたこの国・行政のシステムの暗部や個々の人間の業の深さを炙り出し、視える化させてしまった。この国特有の同調性圧力の負の部分が露わになったとも言えます。
近く某大学でひと時登壇する機会が与えられたので、次世代を担う若い世代に「世渡り上手」の反対:自己責任時代の生き抜く術と思考法を伝えるつもりです。これが私(理想と現実の中で時代の変化に順応しながら必死に生き抜いてきた人間)なりの社会への小さな行動になるでしょう。